02CHAPTER
PROJECT 01
次の豪雨までに間に合わせる!
都心河川改良緊急工事、
新工法実現プロジェクト。

2005年9月4日の夕方から5日の未明にかけ、東京23区西部に大規模な集中豪雨が発生。この豪雨により、杉並区から中野区・新宿区へ流れる妙正寺川と善福寺川が氾濫し、3000戸以上が大規模な浸水被害を受けた。この集中豪雨から間も無く、妙正寺川と善福寺川の氾濫再発防止を目的とした大規模な工事の着工が決定した。

氾濫を食い止める対策工事は、通常は川底を掘って許容できる水の流量を増やす工事である。だが、ただ川底を浚渫(しゅんせつ)するだけでは、川の両岸の強度が危うくなるため、大型の鋼材を使用して護岸工事を同時に行うことも多い。妙正寺川、善福寺川も、川底の浚渫と護岸工事を行うこととなった。

ところが、妙正寺川、善福寺川ともに古くから密集する住宅地内を蛇行するように流れることから、鋼材の搬入や大型建機の搬入路の確保が極めて難しいという課題が発生。そこでエムエム建材の担当者が提案したのは、現場で小型の鋼材を特殊な技術で繋ぎながら護岸強度を確保していく、開発されたばかりの工法だった。鋼材も建機も小型なので搬入が可能になる一方で、新しい工法ゆえに実績が少ない。担当者はメーカーと共に、施主である都への説明を繰り返す。説明の甲斐あって提案は採用、無事に工事は竣工した。

PROJECT 02
放射能流出を食い止めろ!
事故原発に鋼材を届ける、
デリバリープロジェクト。

2011年3月11日に発生した東日本大震災。津波の被害により漏れ出した放射能によって汚染された地下水が海洋に流出することで起こる、海洋生物への影響が懸念された。そこで考えられた措置が、汚染水が海洋に流出することを防ぐ鋼鉄の壁の設置。鋼管矢板という製品を海側の岸壁に30mの深さまで打ち込む工事計画がスタートした。

鋼管矢板の供給を受け持つことになったのが、エムエム建材でした。すぐさまメーカーに製造依頼をかけるなど、国難に立ち向かおうと意気込む担当者。だが、鋼管矢板を運ぶ手段が見つからないという問題が行く手を阻む。物理的に、陸路は現場付近が瓦礫で埋め尽くされているため不可能。船で目の前の岸壁に搬入しようにも、高放射線量の岸に何度も船をつけてくれる船舶輸送業者など皆無に等しい。当時は、高放射線下での安全作業基準が確立はしていたものの、まだ恐怖感もあり、なかなか現地へ運ぶ事を快諾してくれる業者はいなかったからだ。それでも熱意を持って安全である事を説明し打診し続けた結果、とうとう意気に感じて引き受けてくれる輸送業者に巡り合う。

1回目の出港を間近に控えたある日、担当者は輸送を担う船長と、係留地で酒を酌み交わす機会を持った。放射能の恐怖の中、国民のために立ち上がる船長と語り明かした思い出とその時の強い共鳴は、担当者の仕事に対する熱い想いの中で、今も鮮明に息づいている。

PROJECT 03
不測の事態を吸収せよ!
30基の橋脚建設における
鋼管杭供給プロジェクト。

開通区間の拡張が進められている高速道路。拡張工事の一環として、神奈川県某所に大規模なインターチェンジが建設された。この工事では30基以上の鉄筋コンクリート製の橋脚が必要になり、その基礎杭の材料となる鋼管の搬入を任されたのがエムエム建材でした。基礎杭の総重量は約10,000トン。一つの現場で対応する数量としては、類を見ない大規模な案件だ。

橋脚1基に必要となる鋼管は30本前後。しかも鋼管は、場所によって異なる、強固な地盤までの深さに合わせて専用設計されているため、予定と異なる橋脚用に使用することはできない。限られた工期の中で橋脚30基以上を完成させるためには、施工順序に合わせた製造と搬入が不可欠。事前に入念な打ち合わせが何度も行われた。しかし工事を進めると、想定外の地盤固有の課題が発覚。この不測の事態で施工順序の変更が不可避となった。

担当者は、ゼネコンや杭打業者と最適な橋脚建設順序とそれに伴う納期を検討。鋼管杭メーカー各社を駆け回って製造順序の入れ替えについての調整協議を重ねた。工事全体を視野に入れ、押すところは押し、引くところは引く。幾度とない調整と交渉を重ねた結果、工期に大きな影響を出さないデリバリーを実現。完成したインターチェンジを見た時は感無量だった。